3人兄弟の末っ子のHさん。どういうわけか晩年の父親と気が合うせいか、押しつけられたわけでもなく実家に住んで父の面倒を見ていました。母はすでに病死しています。

その父親の異変をHさんの妻が気づきます。「お父さん、ボケてきたみたいよ」。これは深刻な事態です。「このままお亡くなりになったら、この実家を含めて兄弟3人で分けることになるぞ」。つまり、父親の死と同時に、住み慣れた実家を出ることになります。

計算したところ、いまこの土地家屋を売って3分割したとしたら、その金額では近くのマンションも買えません。子どもは大きくなっており、部屋数が必要です。古い実家は最適でした。家賃もいらないですから。

Hさんはもともと悪い人ではないのですが、こうした事態に直面したときに、悪いことを考えてしまいます。「いまのうちに遺言を書かせておこう」。

ところが、調べていると遺言でこの家をHさんに相続させると書いたところで、他の兄弟にも遺留分があるので、それについてはHさんが補填できるだけの財産を渡さなければなりません。相続税を計算したところ、預金はそれだけで吹っ飛びますので、とても兄たちに払う現金はないのです。

では3兄弟の共同の所有にして、兄たちに家賃を払うのはどうか。奥さんは「なんでお父さんの面倒も見てくれない人たちに、そんなものを払うのか」と難色を示します。毎日、お父さんの下着を洗っている彼女にしてみれば、兄たちの嫁さんはなんにもしていないのですから、理不尽というわけです。「家賃が払えるほど余裕なんてないわ」。

そうこうしているうちに、デイケアをお願いしているケアマネージャーから「ボケが進行しているので、成年後見人が必要ではないか」とアドバイスされました。「やった! それだ」。Hさんは自分が父親の成年後見人になれば、実印でもなんでも自由にできるのではないかと考えました。

そして生前に決着をつけることが可能ではないか? たとえばこの土地を担保にお金を借りてしまう、とか。相続するなら、お金の返済も相続しなければなりません。「実は父がお金を借りていたのだ」として、兄たちに相続放棄をしてもらう……。

Hさんはとってもいい人で、父思いで、だからこうして長年同居してきたわけなのですが、相続という1点だけで、徐々に「悪知恵」を働かしてしくようになっちゃう。これが恐ろしいところです。

成年後見人は、誰でもなれます。子や親族でもいいですし、他人でもできます。だからHさんは自らなれるものとを考えて、その手続をしました。

しかし、家庭裁判所から地元の行政書士を成年後見人にするように言われてしまいました。驚いたのはHさんです。「自分がなれるんじゃなかったのか!」とその行政書士に文句を言いました。

すると意外なことを聞かされたのです。「あなたのお兄さんから相続財産で争いが起きる可能性があると聞いたので、第三者になったのです」。長男たちもすでに事情を察知して法的な対応をする準備を進めていたのです。

こうしてHさんの思惑とは関係なく、またボケはじめた父とも関係なく、事態はもめ事に発展していくのでした。もっとも裁判になっていけば、Hさんが父親の面倒をみていたことは評価されるはずで、その分は当然に、他の兄弟より多く相続を受けることも可能でしょう。

できることなら、このように子たちが右往左往する前に、そしてボケる前に、父親が相続についてはっきりした対応をしておくべきでした。